A・自由作文部門
最優秀賞
「世界の魔法」
小林嘉梨 (東京都)女子学院高等学校1年
この世界には、魔法使いがいる。
初めて見た魔法使いは、小学校の音楽の先生だった。一見すると普通すぎるような人だったけれど、私には知らない、他の大人も知らない世界をどこまでも知っていそうな目をしていた。
そんな先生が大好きで、放課後によくその先生の元へ行って、色んな話を聞いた。音楽室のプロジェクターを勝手に使って映画を見せてもらうこともあった。先生のお気に入りの本を借りたこともあった。先生は、私の知らない魅力的な世界をたくさん教えてくれた。
先生の口から出る言葉たちは、魔法だった。他人など信じるものかと閉ざしたつもりの心にもすっと入りこんできて、魔法をかけられてしまえば、どんな出来事も、なんだそんなことだったのかと傍観さえできるようになってしまう。自分でも不思議で堪まらなかった。
頭を悩ませ孤独を感じていたあの日に。漠然とした不安と自分の弱さに苛立っていたあの日に。友人と呼べる人が居なくなったみたいな気持ちになったあの日に。胸につかえてむかむかする真っ黒な異物を全て、その先生に話してしまえば、それはおとぎ話のようになった。主人公は自分によく似た醜さや弱さを持つ少年。その物語を読み返すと、主人公を哀れだなと思うと同時に、それならこうすれば良いのに、と思う。実際にそれが私の中での解決策となることもあった。先生の魔法であの頃の毎日は過ぎていった。
それでも、私は弱いままだった。少しのことで悲観的になるようになった。自分がとんでもなく憎くなることもあった。
そんな私に、その先生は魔法をかけてくれていたようだ。「音楽」という魔法だった。どこにでもあるようで、とても特別な「魔法」だった。
その先生はよく放課後に、音楽室で一人でトランペットを吹いていた。帰り際、下足室で靴を履き替えていると、黄金色の音が中庭を通って校内に響いているのが聴こえてくる。そうすると、心の底からわくわくして、又同時に無駄な肩の力が抜けて、安心するのだ。トランペットの音色もまた、その先生の魔法だった。
私が初めてトランペットに触れたのは小学六年生のときだった。
ある日、ふと先生の魔法が聴きたくて音楽室を尋ねたときだった。突然、折角だから、と言って、楽器庫に片付けられていた備品のトランペットを貸してくださったのだ。そして特別に卒業まで使わせてもらえることになった。
それからというもの、朝、誰よりも早く登校して、昼、誰よりも早くご飯を食べ終えて、放課後、誰よりも遅くまで校内に居残って、吹奏楽部でもない私は、狭い楽器庫でトランペットを吹いていた。
今思えば、思うように吹けないその感覚は、習いたての魔法を練習するみたいだったし、それでも少しでも音が出れば私の心は潤った。練習しているところを見られたくなくて楽器庫の端で隠れながら吹いていたのも鮮明に覚えている。いつしか、私の小学校生活最後の一年はトランペットで埋まっていった。
その時先生が私に与えてくれた「トランペット」は、私が小学校から巣立つための魔法だったように思う。私は無意識のうちに少しだけ強くなって、小学校を卒業した。
中学に入り、私は迷わずオーケストラ部に入部、トランペットを第一に希望し、幸運にも担当させてもらえることになった。
私がオーケストラに入って最初に驚いたのは、その楽器の数と音の臨場感だった。それまで楽器庫で一人、細々と音を出すだけだった私からすると、舞台上でのそれらはあまりに違うもので、音によってずんずんと自分が揺らされるその空間に、そしてそこにある自分の居場所に、感動していた。この時はまだ音楽が魔法だなんって思っていなくて、私は与えられたこの機会を満喫すべく、自分のことで精一杯だった。
こうして入部してからこのオーケストラで、私は二人の魔法使いに出会うことになる。
一人は、入部してすぐに出会ったパーカッションの先輩だった。その先輩は、音を自由自在に操る魔法を持っていた。
シンバル、バスドラム、トライアングル、ティンパニ。様々な楽器を曲によって使い分け、その音はオーケストラ全体の雰囲気をがらりと変える。その表情はころころと豊かに変わる。音楽に溶けて組織となっていくその魔法は、まだまだ未熟だった私をみるみるうちにオーケストラの世界に惹きこんだ。そうしてその先輩の演奏を聴いているうちに、他楽器の先輩方もきらきらと輝き出した。普段は愉快に笑ってばかりの先輩も楽器を持てばその視線は別人のように鋭くなり、ぞくぞくするような真っ直ぐで力強い音を奏でる。私はその人達の魔法の虜になった。そして益々オーケストラに魅せられて、演奏を聴くたびに微笑みが止まらなくなるくらいになっていて、音楽ともっともっと一緒に居たいと思うようにもなった。
自分で楽器を持って本格的に練習を重ねるようになった頃、もう一人の魔法使いに出会った。
ある日の部活で、初めてコーチに会った時だ。コーチは演奏の中で、ひとりひとりの弱点を全て見抜いているみたいだった。私もまた、見抜かれている一人で、目を合わせて話すだけで心の中が全て読まれてしまいそうでどきどきしていた。
コーチに指導されたことをうまく自分に落としこめば、演奏の悩みは一瞬で解決する。たった一言、こうやってみて、と指導される前と後、ほんの数分でも、音は大きく変わる。それが面白くて、他のパートが指導されている間も、私はコーチの言葉とその相手の音に耳を傾ける。ぐんぐんと良くなっていく音はまさに魔法をかけられたようで、言葉は呪文のようだった。
この頃辺りからだろうか、私の中で「音楽」は「魔法」になっていった。そして、魔法使いが居ること、私もかけられていることに気付き始めた。それは日に日に確証を得ていく。
本番が近づいたある日、大きなホールでリハーサルをした日だった。私は舞台袖から、先輩方の演奏を覗いていた。
コーチが指揮台に立ち、指揮を構えると、空気がすっと動いてぴんと張り、ホールへの音の響きが格段に良くなる。活き活きと動き始めた指揮棒に連られ、音が並べられてゆく。単なる音の羅列では無く、生き物のように、感情豊かに流れてゆく。これがオーケストラか。当時の私はやはり感動していた。
指揮が揺れる。先輩方が操られる。空気が変わる。穏やかなワルツ調から激しい怒りのような音楽まで。規則的、しかし情熱的に動き続ける指揮棒。芯が固く張り詰めていく音色。独特の緊張感。心拍数が上がっていくのが、まるで心臓を握っているかのようにはっきりと感じられた。
気が付けば、演奏は終わっていた。指揮棒は少しの間天を仰ぎ、我に帰るかのようにコーチの手の中に戻っていった。ホールにはびりびりと余韻が張り付いている。
一気に汗をかく。魔法は、私の胸をなにもかもでいっぱいにした。いまにも溢れそうなそれらの溢れさせ方さえ分からなくなり、ただただその雰囲気に酔うしかなかった。
音楽が魔法になったその時から、私には大きな夢が出来た。「魔法使い」になることだ。
今年の夏、私はオーケストラに入って四年目になった。
予想だにしていなかった世界の状況、理想とはかけ離れた高校生活の中で、「魔法」にも制限がかかるようになった。
それでも私は今、ホールの舞台の中央で、背中には後輩を感じて、トランペットを吹いている。オーケストラの一員として、指揮に操られるように、音楽を奏でている。
小学校の時、魔法使いから授けられた魔法は、新しい魔法使いに出会わせ、迷子だった私に道を示してくれた。その魔法に苦しめられる日もあったけれど、それ以上にたくさん救われている。
今の私は、「魔法使い」というには足りないものばかりだけど、あの日魔法をかけてもらったように、いつか誰かの魔法使いになれないだろうかと思っている。
この世界には、魔法使いがいる。
こんな世界でも、魔法は存在する。
私たちは、魔法を使える。だから、世界は変えられるのだと信じ続けている。
先の見えない毎日、何もかもに靄がかかることだってある。全てが嫌になって、何もかも消えてしまえばいいと思うこともある。
そんな世界でも、まだ「魔法」に少しの希望をかけている、そんな私の日々だ。